[翻譯] 古日本少年愛文獻節錄
※新井白石『白石先生紳書』
応山公御幼少の時に、無双の美少年成し故、正宗ならびに藤堂泉州、柳生但
州等、常に上洛の時は、御心安く出入り有し。正宗などこれを以てや亦り給
ひけん、限りなくむつまじくなりて、一入昵近の御事也。
(應山公少時美貌無雙,是以政宗及藤堂泉州、柳生但州等人常於上洛之時,
出入不絕。而政宗亦拜此之賜,與公相交甚睦,益見親暱也。)
※氏家幹人『武士道とエロス』p.98。
目を上つ方に移そう。近衛信尋(一五九九ー一六四九)は、元和九年(一六
二三)に関白に補せられた公家で、同時に後水尾天皇を中心とする学問芸術
サロンの代表的文化人としても知られる。若い頃大変な美少年だったためで
あろう、この人についても少年愛の噂があったらしい。抜群の美少年ゆえ、
伊達政宗、藤堂高虎、そして柳生宗矩らの武将が上洛の折に心安く出入り、
なかでも政宗とは「限りなくむつまじくなりて」、ひとしお昵懇の仲だった
というのである(『白石先生紳書』)。
(我們把焦點轉移到高位者的身上。近衛信尋(一五九九~一六四九)是公家
朝臣,在元和九年(一六二三)任命為關白。同時在以後水尾天皇為中心人物
的學問藝術沙龍裡,他也是其間的代表人物,以此享有文名。因為他年少的時
候極其俊美,所以當時也傳出了和這人有關的少年愛流言。由於他是個外貌出
眾的美少年,因此武將伊達政宗、藤堂高虎和柳生宗矩,都在上洛的時候頻頻
和他來往。其中尤以政宗「與公相交甚睦」,關係格外親密(《白石先生紳書
》)。)
※『南方熊楠男色談義 岩田準一往復書簡』p.44~p.45。
やや後にも近衛信尋公(実は後陽成天皇の第四子)は、若姿ことに艶にまし
ましければ、福島正則、伊達正宗、藤堂高虎等、毎々茶湯等に托して行き通
いしという。近時の考えよりは不思儀なことのようなれども、右の襄成君や
鄂君子皙のこと、またこの近衛公のことなどは、専一に後庭を覘うてつめか
けしこととも思われず。今日の人に分かり易く申さんとならば、東京等の高
名なる芸妓へ高価の物を贈り、千金を散じて種々の人が押しかけるも、あな
がち百人が百人その前庭を覘うにもあらず。いわゆる「せめては言の葉をや
かかると」で、一言の挨拶にあずかり、一句の短冊でも書きもらいて一生の
面目と心得たることと存じ候。
(稍後還有近衛信尋公(實為後陽成天皇第四子)。據說他年輕時姿貌秀麗,
因此福島正則、伊達政宗及藤堂高虎等人,每每以茶湯為托辭與之交遊。儘管
從現代眼光看來似乎很不可思議,然則吾等亦不能斷定上述的襄成君、鄂君子
皙,以及這位近衛公的事跡,都只是愛慕者為了一窺後庭才蜂擁而至。以現代
人容易了解的話來說,即使把高價之物送給東京等地知名的藝妓,散盡千金,
形形色色的人簇擁在她身邊,但是在一百人當中,也未必有一百個人是為了要
一窺她的前庭。俗話說「至少留下隻言片語」,即使聽到一句寒暄,得到一紙
親筆詩箋,愚意以為這也是一輩子的榮耀,永生難忘的經驗。)
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拙譯如有未盡之處,敬請指正,謝謝!m(__)m
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※ 編輯: AprilFool 來自: 118.165.11.141 (04/20 21:54)
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