[翻譯] 評真田之勇
○島津忠恒
「五月七日に、御所様の御陣へ、真田左衛門仕かかり候て、御陣衆追いちら
し、討ち捕り申し候。御陣衆、三里ほどずつ逃げ候衆は、皆みな生き残られ
候。三度目に真田も討死にて候。真田日本一の兵。古よりの物語にもこれな
き由。徳川方、半分敗北。惣別これのみ申す事に候。」
五月七日,真田左衛門攻御所大人本營,追擊親兵,征討敗卒。親兵逃三里之
外者,方皆活命。三戰後真田亦亡。真田日本第一勇士,古來傳奇未之有也。
德川幾敗。大抵若是。
○細川忠興
「左衛門佐、合戦場において討ち死に。古今これなき大手柄。」
左衛門佐戰死沙場,其功之大,古今未見。
○大久保忠教
「三方ヶ原にて一度御旗の崩れ申すより外、後先の陣にも御旗の崩れ申す事
なし。いわんや七十に成らせられて、収めの御ほうどうの崩れては、何の世
に恥をすすぎ成さるべきか。」
三方原將旗一度崩塌,縱令前後之戰,亦未有也。況已年屆七旬,臨薨大敗,
卻該於何世雪恥乎?
○「大坂御陣覚書」
「真田は味方の諸軍乱走るも機を屈せず、魚鱗に連なりて駆け破り、虎韜に
別れては追い靡き、蜘蛛手十文字に掛け破らんと、馬の鼻を双べて駆け入り
、其の速かなるは疾雷の耳を掩ふに及ばざるが如し。」
真田於我軍潰奔之際猶不屈時運,大破魚鱗之陣,威逼虎韜之勢,舞刀斬殺八
方,並馬長驅直入,其速如迅雷不及掩耳。
○『翁草』
「真田は、千載人口に残る奇策幾千百ぞや。そもそも信州以来、徳川に敵す
る事数回、一度も不覚の名を得ず、徳川の毒虫なりと世に沙汰せり、当世の
英雄真田を非ずして誰ぞや。絶等離倫、一世の人物、今にいたりて女も童も
その名を聞きてその美を知る。」
真田奇策遺於千載巷議者,數千百計也。自信州以來,與德川為敵多次,無一
度失算之名。世人皆謂德川之毒蟲,當世英雄捨真田者誰哉?絕類離倫,一世
之傑,今之婦孺亦聞其名,知其美。
○『北川覚書』
「車軸を流す雨の如く候へども、真田が備、一人も散らず真丸に堅り、とて
ものがれぬ処にて候間。一寸も後をみせ候なと、皆々念仏を唱へ、死狂に懸
り候。」
臨車軸澍下之勢,真田隊猶不散一人,堅守圓陣,全無可遁逃處。寸步不退,
皆誦佛號,視死如歸。
○『元和先鋒録』
「真田左衛門合戦の様子奇怪の節多し、此の日初めは茶臼山に出、夫より平
野口に伏兵を引廻し、又岡山に出て戦ふ。後に天王寺表に討死す。其の往来
抜け道の跡、今に相残り候旨、実にしやかに書き記し候。」
真田左衛門戰況奇處甚多。此日初現茶臼山,夫而伏兵迂迴平野口,出戰又岡
山,後陣亡天王寺外。其往來行路之跡,遺於今世,如實記之。
○『山下秘録』
「家康卿の御旗本さして、一文字にうちこむ、家康卿御馬印臥せさすること
。異国は知らず、日本にはためし少なき勇士なり、ふしぎなる弓取なり真田
備居侍を一人も残さず討死させる也。合戦終わりて後に、真田下知を知りた
る者、天下に是なし。一所に討死にせるなり。」
迫家康卿旗本橫屍,馬印偃臥,如此勇者,殊絕猛士,不論異國,日本古來亦
少有。真田隊從屬俱歿於陣,無一人苟活也。合戰後知真田命令者,天下無是
矣。以其在一處陣亡也。
○『言緒卿記』
「天王寺にて度サナタ武辺、其後討死。」
真田奮戰於天王寺,而後陣亡。
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其實更簡潔有力的評語是戰B的「上等だよ、アンタ上等だ!」……(誤)
拙譯如有未盡之處,敬請指正,謝謝!m(__)m
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12/20 12:54, , 1F
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